スリック史(その1)
スリック史
スリック三脚の歴史は、一人の技術者であり、事業家であった一人の人物、白石尚稔(しらいしたかとし)氏の創りあげた、一台の三脚からスタートしました。
白石氏は第二次大戦中、18才のとき航空機の設計に関わる仕事をし、過去にはこの年(1943年)をスリックの起源としていたこともあるようです。(スリックが1978年頃発売した「88D」にはEstablished in 1943と製品に記載していました)
1948年、白石氏が23才のとき、当時アメリカ軍が持ち込んだアメリカ製のアルミ軽合金三脚「ハスキー」を手本に試作品を完成させました。白石氏は写真愛好家で、カメラを自分で作って販売したい、という希望がありました。しかし、カメラではなくアルミ三脚を作ったことから、その後三脚を作って販売する会社「合資会社白石製作所」を立ち上げます。
1948年というのは、現存するメジャー三脚ブランドのスタートから考えると相当早いと考えられます。
フランスのジッツオは1917年の創業であるものの、当時はカメラ周辺小物の製造をしています。三脚の製造をスタートしたのは1950年代になってからです。イタリアのマンフロットは1960年代後半にスタート(公式には1972年としています)。そしてスリックと並ぶ、日本の三脚メーカーのもう一つの雄「ベルボン」は1955年に創業します。小型三脚からのスタートで、本格プロ用三脚の製造は1987年の「マーク7」まで待つこととなります。
このような状況の中で、白石氏は最初からプロ向けをターゲットとする三脚を製造・販売します。当時のブランド名はアルプス三脚。美スズ産業(2004年に解散した写真商社)が当時、特約店であったため、美スズ産業の出身者の地のイメージから付けられました。
アルプス三脚は、1953年に雑誌「暮らしの手帖」に「戦後の鍋や釜をつくったら飛ぶように売れるときに、アルミで三脚を作るとは変わった会社だ」と書かれました。また、アルミの加工の問題から「使うと手が黒く汚れる」とも言われたこともあるようです。しかしながら、国産メーカーとして、順調にアルプス三脚は売れていきました。
しかし「アルプス三脚」という名前に問題が発生しました。当時から新宿にあったカメラ店「アルプス堂」との混同を避けるため、新たなブランド名を考える必要がありました。
新しいブランド名は白石氏の友人で、カメラ専門誌「写真工業」を立ち上げた北野邦雄氏により「スリック(SLICK)」と付けられました。スリックとは「滑らかな」という意味の英単語。公式には「滑らかに動く三脚」というイメージから「スリック」と名付けたとされています。実際には白石氏の頭文字である「S」を入れた名前から考え出されたようです。スリックの英語表記「SLICK」を商標登録する際、英単語の綴りと同じままだと登録できないという問題があり、SLIKと昭和49年(1974年)に改められました。1974年以前に製造の製品には「SLICK」と書かれています。
1954年版の「日本カメラ年鑑」には、スリックS型、スリックJ型などの名前を見ることができます。
スリック(SLICK)J型 2段