スリック史(その2)
詳しい発売年は不明ですが、1955年頃に、今に続く製品名である「スリック マスター(初代)」が登場。このスリックを代表する製品名は、白石氏の当時の愛車であった「トヨペットマスターライン」から付けられました。当時のトヨタを代表する「クラウン」のワゴン版、今でいうところの「クラウンエステート」が「トヨペットマスターライン」なのですが、製品名の元となったクルマは既にないものの、スリック三脚の名前としては55年を超えた今も生き続けることになりました。
プロ用を目指した「マスター」は、様々な新聞社のカメラマンの意見を採り入れた三脚でした。一人で持ち歩ける重さながらしっかりしていて、プロが使う望遠レンズもサポートできます。
1950年代の製品:スリックS型(1955年以前、¥8,000)、スリックJ型(1955年以前、¥6,800)
1956年、合資会社だった組織を株式会社化。「スリック・エレベーター三脚株式会社(SLICK ELEVATOR TRIPOD CO., LTD.)」となりました。2011年を創業55年とするのは、この「株式会社化」の年から数えてのことです。
スリック・エレベーター三脚株式会社の創業時、三脚のラインナップは「マスター3段」と「マスター2段」の2種類であったようです。雲台はまだフリーターンではありません。塗装はダークグリーン。パテントNo.が3つ、製品の銘板に刻まれていました。スリックが特許を取得(現在、特許は切れています)した「2ウェイ石突」(スパイクとゴムの切替式)、スプリング入りカメラネジ(ツマミを回すだけでネジがスプリングによって持ち上げられているので、簡単に取付ができる)の2つは今でも、多くの三脚に取り入れられています。あとの1つは不明です。
スリック(SLICK)マスター(初代)
スリック(SLICK)マスターの銘板
1955-1956年頃の品
マスター3段(初代 1955-1956 価格不明)、マスター2段(初代 1955-1956 価格不明)
1957年にマスターは「ニューマスター」に改良されました。塗装は黒チリメン塗装。脚の下段パイプはシルバーのままでした。
マスターの下位機種として発売されたのが「ポピュラー」。マスターよりも一回り小さいサイズで、雲台は独特な2ウェイの製品でした。
大型の機種として「スタジオプレス」という三脚も発売されたという記録があります。
スリック(SLICK)ニューマスター
株式会社化-1960年頃の製品
ニューマスター3段(初代 1957-1964 ¥9,800)、ニューマスター2段(初代 1957-1964 ¥7,800)、ポピュラー3段(1958-1960 ¥3,950)、スタジオプレス3段(1958-1961 ¥60,000)
1960年代となり、マスターはまたモデルチェンジし、マスター(二代目)となりました。サイズが大きくなり、雲台に大きな改良が加えられました。
フリーターン雲台の誕生です。
新聞社カメラマンの意見を採り入れながら、さらに白石氏のアイデアと、白石氏が信奉していた、日本のインダストリアルデザイナーの草分け的存在であった、由良玲吉氏とともに完成させた雲台です。一ハンドルで上下・左右の締める・緩めるができ、さらにカメラ台の回転を合わせるとあらゆる方向、あらゆる角度にカメラを向けることができます。このフリーターン雲台ももちろん特許(現在、特許は切れています)を取得。
スリックは1960年代に、フリーターン雲台を装備した三脚を小型の「ベビー」から超大型の「グランドプロフェッショナル(自重が12kgもあった)」まで、フルラインナップします。
勇み足で当時のカメラ誌に競合他社雲台との比較広告を掲載、引き合いに出された雲台を出している各社からクレームがつき、お詫び広告を出す事態にもなりました。
脚の構造も特殊なものでした。脚パイプ自体を回して締める・緩めるを行います。塗装部分はハンマートーン仕上げ。
しかしこのマスターも長く続かず、1967年には一般的な脚構造、フリーターン雲台、黒チリメン塗装の「マスター(三代目)」にモデルチェンジします。
1960年代は、さらに様々な三脚やアクセサリーにチャレンジした時代でした。
ポピュラーと世代交代して、マスターの小型版として登場したのが「スリックベビー」。
この三脚もスリックの特長である「フリーターン雲台」を採用。
スリックマスター(1960年代の半ば。一般的なナット式の伸縮システム、脚塗装はハンマートーン)